日本の工作機械業界は世界に誇れる素晴らしい業界です。日本はこれまで工作機械の分野で世界をリードしてきました。しかし、うかうかしてもいられません。欧州はもとより、昨今では中国や台湾といった国の工作機械もかなり勢いづいています。ただ、他国の発展以前に、日本の工作機械業界は大きな問題を抱えていると私は感じています。本記事では、現在の日本の工作機械業界が抱える問題について私なりの意見を書きつづりたいと思います。まず、大前提としては、これはあくまで私個人の意見です。ですが、工作機械業界に勤める技術者の一人として日々抱えている疑問でもあります。賛否はあるかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。
本記事は前回の記事"すごいぞ!!日本の工作機械業界"の続編です。
前記事を読んでいただいた前提で執筆していますので、読んでいない方は下記のリンクよりどうぞ。
日本は"技能"のものづくり
いきなり話は反れますが、日本のものづくりと聞いたときパッと思いつくのはどういうイメージですか?
無口な職人が熟練の技能で黙々と作業していく・・・
なんとなくそんなイメージがありませんか。そのイメージは正しいです。日本のものづくりを支えてきたのは熟練の職人達が研鑽し、積み上げてきた数々の技能です。では世界のものづくりと聞いたときどういうイメージを持ちますか?さすがに"世界の"と括ってしまっては、範囲が広すぎてわからないですよね。私が欧州で設計の仕事をしていたとき、こんな話を聞いたことがあります。
日本人は手が小さく指が細いため、手先が器用であり"技能"が発展した。
それに対して、欧州人は手が大きく指が太いため、手先が不器用。
それを補うために、"道具"が発展した。
日本人は元々、手先が器用なんですね。この"技能"と"道具"が今回のキーワードです。技能で成り上がった日本は、技能に対して強い誇りと拘りを持っています。この技能への拘りこそ、今まさに日本の工作機械業界の足枷となりつつあるのです。
母性原理の矛盾
工作機械は母性原理という特性を持っています。母性原理とは、"工作機械によって生産される部品や製品の精度はそれを作り出す工作機械の精度によって決まる"というものです。そのため、工作機械の精度を高めることが、工作機械メーカーの使命でもあります。精度こそ工作機械の命です。
では、工作機械の精度は一体どうやって高めればよいでしょう。それは、精度のよい部品を使って工作機械を作ることです。そうすれば、工作機械の精度は上がっていきます。ですが、ここで一つ矛盾が出てくるのです。なぜなら、精度の良い部品を作るためには精度のよい工作機械が必要だからです。まさに卵が先か、鶏が先かのような矛盾ですね。
この矛盾を打ち破るのが職人の技能でした。職人の手仕上げや組立の技能によって、部品の精度を高めて更に精度のよい工作機械を作る。そして、その機械でさらに工作機械を作っていくのです。日本の工作機械はこうしてその技術を発展させていき、技術で世界をリードする存在となりました。
一方、欧州では技能が発展していなかったため、部品の精度を手仕上げで高めるのは難しい状態でした。
そこで、欧州人が考えたのは制御で何とかしようということでした。これは手の大きさの話で言うところの、まさに"道具"的なアプローチです。欧州では、部品や組立の精度の悪さを制御の補正で打ち消すよう取り組み、工作機械の技術を発展させたのです。
補正を簡単な例で説明すると上図の通りです。部品の精度がよければ真っ直ぐ進みますが、精度が悪く曲がってたりすると、それに沿って機械の動きも曲がってしまいます。日本ではこの曲がった部品を職人が仕上げてまっすぐに直します。欧州では、部品は曲がったままでも、疑似的に機械がまっすぐ動くように他の部分の動きで補って動かします。これが補正というものです。これはあくまでも一例ですが、工作機械の補正には様々な種類があります。
真直度補正、ピッチエラー補正、熱変位補正 etc・・・
欧州はこの補正を発展させることで工作機械を作ってきました。このように制御技術で発展してきた欧州は、工作機械メーカとともに制御機器メーカも独自の発展を遂げてきました。
制御機器メーカの発展
まず、大前提の話をすると工作機械メーカーは機械の全てを作っているわけではありません。内製できないものは、サプライヤーから購入しているわけですが、制御機器もその一つです。工作機械の制御機器はCNC(Computerized Numerical Control)機器と呼ばれます。日本語にするとコンピュータ数値制御です。
ラジコンで例えると、プロポやモータは別会社から買って、作っているのはラジコン本体だけというイメージです。
国内企業では、ファナック、安川電機、三菱電機などが有名ですね。余談ですが、日本はこの制御機器の分野においても世界で高いシェアを誇っています。基本的に工作機械メーカはこうした制御機器メーカからコントローラを買って機械を作っているわけです。工作機械の頭脳とも言える部分なので、どのコントローラを使うかは、非常に重要な選択です。
画像引用:ファナック株式会社、三菱電機株式会社、株式会社安川電機、SIEMENS、HEIDENHAIN
欧州で有名な制御機器メーカには、シーメンスやハイデンハインがあります。これらの欧州の制御機器メーカは、先ほどの話でもあったように補正で機械の精度を出すことを市場から求められ続けていきました。そのためかなり独自の進化を遂げています。
今回の記事の最重要ポイントはここです。
欧州の制御技術は機械の精度が悪いことを前提として、補正ができるように発展してきたのです。機械の精度が良い前提で制御技術が発展してきた日本の制御機器メーカは欧州と根本的に思想が異なります。
具体的な話は小難しくなるので伏せますが、シーメンスやハイデンハインのCNCは、とにかくありとあらゆる動きに対して補正をかけることができます。極端に言えば機械が適当な作りであっても、補正だけでちゃんとした工作機械になってしまうんですね。補正に関するノウハウも日本とは比べ物にならないほど持っています。
つまり、機械の精度が悪くても、制御することで精度の良い工作機械が作れてしまうんです。これは非常に素晴らしいことですね、まさに時代に即したものづくりです。卓越した技能者無しでも工作機械を作ることができる時代なんです。
補正による工作機械作りは世界的なトレンドになりつつあります。しかし、現在の日本ではこのようなものづくりができない仕組みになっているんです。
大人の事情
そんな素晴らしい制御装置があるなら、日本もそれを使えばいいじゃん。
と思うかもしれませんが、そこには大人の事情があり、日本メーカは欧州のCNCをメインの制御機器に使うことができません。国内の制御機器産業を守るために、日本ではシーメンスやハイデンハインなどの欧州メーカの制御機器を販売できないようになっています。国内のメーカがこれらのCNCを採用しないのはそのためです。明確な法律やルールがあるわけではなく、どこかのすごく偉い人が決めたあくまで暗黙の了解です。まさに大人の事情ですね。
ここで誤解しないで欲しいのは、日本の制御機器メーカーのレベルが低いといっているわけではないんです。ただ、補正ありきで発展してきた欧州に比べるとこの分野の技術において日本が大きく後れを取っているのも事実です。
そして日本では、補正は邪道だ、機械の精度こそ正義だ!という考え方がまだ根強く残っているんです。
はたして補正は邪道なのか?
補正は呼んで字のごとく、補って正す。これが補正です。あくまでも、足りない部分を補うサブ的な機能であって、決してメインにはなり得ません。とにかく機械の精度がしっかりと確立された上で、どうしても駄目なら補正に頼るしかない。これが今の日本の工作機械作りです。
私の会社にいる偉い人たちは
工作機械は機械としての精度が命、補正で出る精度は紛い物。そんなごまかしのものづくりでは世界で戦えない。
と言っています。これだけ聞くともっともらしく聞こえます。私もそう思っていましたが、欧州にいるときに、友人に言われたことがあります
「なぜ日本人は、そんなに機械の精度にこだわるんだ?意地を張らずに補正を使えばいいじゃないか。お客さんは、加工した部品の精度が出ればそれでよいわけで、それが機械の精度のおかげなのか、補正のおかげなのかは全く関係ないじゃないか。だったら、補正を使って安く機械をつくるのがベストだ」
工作機械の機械的な精度が大切だということは、会社に入ってきっちり教育されてきましたので疑問を持ったことはありませんでした。ただ友人のこの話を聞いてから、少しづつ工作機械の新しい在り方について考えるようになりました。
日本が補正を"悪"とする理由
なぜ補正がいけないと考えられているのか。
精度や技能信仰の精神論だけではなく、実はちゃんとした理由があります。工作機械は精度が命であることは、母性原理でも説明しました。この命である精度を補正に頼るということは、工作機械メーカとしては命を制御機器メーカに預けるということに他なりません。
他社に心臓を握られていることになります、だからできないのです。補正は制御機器メーカーのノウハウであると同時に、ブラックボックスでもあります。どのような処理がされて、どのように動いているのかは我々工作機械メーカーではその中身を知ることができません。自分達の作った機械がどうやって動いているのか、それがわからないのは気持ち悪いですよね。企業として、最重要部分のノウハウは自社で握っておく必要があるのです。故に、日本企業は機械の精度を手放し、補正に頼るという選択をすることができません。
日本では、工作機械メーカにとっての制御機器メーカはサプライヤーの一社であり、それ以上でも以下でもありません。しかし補正で工作機械の技術を発展させてきた欧州では、文化として制御機器メーカと工作機械メーカーは運命を共にするパートナという感覚があるようです。それゆえに、補正で機械を作りこむこと、命を預けることにまったく抵抗がないわけです。
これからの工作機械業界
・日本は技能、欧州は道具で発展してきた
・欧州では"道具" (補正技術)が発展している
・機械の精度が悪くても、補正で精度の良い機械が作れる
・日本では欧州の制御機器を買うことができない
・日本には技能や精度に対する信仰が根強く残っている
ここまでツラツラと書いてきたこの工作機械の問題ですが、実は全く同じことが自動車業界でも起こっています。それが、電気自動車の登場です。日本が自動車業界で世界をリードするようになったのも、まさしく職人の技能のおかげです。特に部品の摺り合わせ技能に秀でていたため、これによりエンジンやトランスミッションなどの機械部品の性能が向上し、品質の良い車が作れたわけです。逆にこういった技能やノウハウを持たない企業は車を作ることができませんでした。
しかし、電気自動車となると話は別です。電気自動車には摺り合わせ技能が必要なエンジンもトランスミッションもありません。極端な話、電池とモータと足回りとボディがあってそれを組み立てれば、車が作れてしまうわけです。言ってしまえば大きなラジコンカーですね。ノウハウがなくても車を作ることができるようになり、今までは排他的だった自動車業界にベンチャー企業などが乗り込む余地が生まれ市場が活性化しています。機械だった自動車は家電へと変わりつつあるのです。
工作機械業界も同じように補正技術の発展により、機械作りの技能が必要なくなれば、ノウハウを持たない企業がどんどんと参入できるようになるはずです。これは、世界の工作機械業界にとって市場が活性化する転機であり、非常にポジティブなことだと捉えています。
しかし、今の日本の工作機械業界はこの波に乗ることができるのでしょうか。補正だけで作られる機械は、部品コストや組立コストも安く、価格勝負になるはずです。果たして戦っていけるのでしょうか。また、IotやAIなどの技術が注目されている昨今では、技術のトレンドは機械本体ではなく、周辺の制御機器に集中しています。データをどう使うか、どう情報を収集するか、どうつなげるか・・・・補正も情報の一つなので、そのトレンドにもマッチしていると感じます。
もちろん、時代を作ってきた数々の技能や卓越した技を持つ職人はリスペクトするべきです。それに真の意味での高精度工作機械を目指すなら、機械の絶対的な精度も職人の技能も必要です。
しかし、本当に必要なものだけを残し、不要なものを捨てる勇気を持たない限り、日本の工作機械業界に未来はないとも思っています。我々若い技術者がそういった時代を作っていかなければなりません。そう自負しています。ネガティブな話ではなく、これを業界の伸び代と捉えれば、まだまだこの業界でやるべきことが多くあり、嬉しくも思います。
冒頭でも書きましたが、これはあくまでも私個人の意見です。業界全体の問題という体で書いていますが、実は私の会社だけの問題なのかもしれません。しかし、欧州で実際に色々な機械を見てきた経験からどうしてもそうは思えないのです。賛否はあると思いますが、どこぞのペーペー技術者の独り言だと思って聞き流していただければ幸いです。